宮本仏壇店は1974年に私の父が開店しました。母と二人、二人三脚で岐阜市を中心に各務原市、美濃市などのお客さまとのお取引を地道に開拓していったと聞いています。2年前に父が他界し私が代表を後継しましたが、父は10年ほど前から第一線を退いていたため事業の引継ぎは比較的スムーズでした。 事業内容は一般のお客様向けの仏壇仏具の販売、寺院向けの仏具販売と修復工事やオーダーメイドでの製作も行います。大きな仕事では数千万円規模になることもあります。 岐阜は中山道と東海道線が交わる交通の要衝であるため、西本願寺、東本願寺、禅宗など多様な宗派のお客さまがいらっしゃいます。そのため、宗派の様式にあわせた豊富な種類の仏壇を取り揃えており、各宗派の歴史や考え方、飾り方に関する幅広い知識が求められます。
親族内での後継者が不在で、拡大傾向の業界ではないため外部からの後継者登用は難しいと考えていました。私一人でこれから先、縮小していく市場の渦中にある経営の難局を乗り越えていくことの不安、父がコツコツと信頼関係を築きながら地域に根ざしてきた実績を私の代で下降させたくないという葛藤で、思い悩む日が続きました。 当社は寺院とのお取引が非常に多く、100院以上のお寺さまとのお付き合いがあります。寺院の仕事はまさしく一院一様で、それぞれの仕様やこまやかなご要望があります。もし私たちからの提供ができなくなっても、すぐに他社が対応できるわけではありません。父が生涯をかけてお取引してきた皆さまにご迷惑をかけたくないという思いが、M&Aを決意した一番の理由です。岐阜商工会議所の引継ぎ支援センターに相談し、紹介を受けたなごやホールディングスさんとのご縁が生まれました。林社長の「100年続く会社に、企業にします」という言葉が大きな後押しになりました。
M&Aを行う際、最初の難関は各種書類の整理、作成でした。会計・経理については専門知識がないままに私一人で行ってきました。私が知りえない創業時の内容などを調べる必要もあり、まるで「開かずの金庫」に踏み入れるような心境でした。なごやホールディングスさんが具体的に譲渡先候補になってからは、当社で長年の付き合いがある顧問税理士となごやホールディングスさんの税理士の協力を得ることができて作業はスムーズになっていきました。 譲渡の影響でもっとも危惧していたのは、社員の待遇と取引先からの理解でした。まず譲渡後一番にホールディングスの林社長が重要な寺院へのあいさつ回りに同行し、一院ずつ丁寧に説明してくださいました。「今までと変わらないこと」に皆さん安心してくださり、従来通りのお取引を継続していただいています。昔から家族ぐるみのお付き合いをしていただいていたご寺院が多く、私や母の今後を心から心配してくださっていたため感謝の言葉しかありません。
グループイン当初は会計、事務、店舗マネージャー、仕入れ担当など、たくさんの担当者がなごやホールディングスさんから来店されました。次々と商品の仕分けなどが行われ困惑することもありましたが、ひとりひとりとお話するうちに行動の意図と目的を徐々に理解できるようになりました。個人の小さな店舗経営しか知らなかった私に、企業としての運営方法や利益を向上させるための具体的な指導をしてくださり、どんどん視野が広がっていくのを感じました。 譲渡前は定休日も定まっておらず、お休みも従業員の希望に沿えない部分も多かったと思います。譲渡後は働き方の見直しも徐々にしていただき、社員の皆さんが自身で働く時間を調整するようになるなど、労働環境も改善されていきました。
以前は仕入れから支払い、販売促進まですべて一人で決断してきました。現在は総務部が会計業務を行い、事業部長が価格設定や仕入れに関する相談にものってくださいます。各分野の専門家が伴走していただけるので、私自身はお客さま対応に集中できるようになりました。資金繰りや経営管理など、M&A前はいつも大きな不安を一人で抱えていて、今思うと本当に孤独だったと思います。 自分のために時間を使えるようになったのも嬉しい変化です。私は表千家の茶道を教えているのですが、以前は仕事に追われてお稽古どころではありませんでした。現在は定休日の木曜と金曜の午後をお稽古にあてることができ、お弟子さんも増えました。 生前父が大切にしていた「仕事は楽しんで。毎日明るく笑って生きる」という信条を、実践できるようになりました。譲渡は私にとって人生を豊かにする決断だったと思います。